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〜Monthly Pickup Players〜
第一回 宮崎輝尚 Teruhisa Miyazaki
| いよいよスタートする〜Monthly Pickup Player〜なのだが、紆余曲折して栄えある第一回に選ばれたのは、フッカー宮崎輝尚。 ”ペナルティーで、真っ先にボールを探すのは宮崎か波多江”というぐらいアグレッシヴなFWプレーヤー。他チームが最も恐れる豊富な 運動量と力強さを兼ね備えた男。彼を第一回に選んだ理由は、若手でもなく、役員でもなく、ベテランでもない。意外に客観的にクラブの ことを思える立場ではないのかと思ったことが一つと、インタビューでもわかるが、入部の時にウルトラマンを「選んで」入ってきたこと。 しかも自分の目で他チームを見て、自分で判断してウルトラマンを居場所に決めたこと、ということもある。 これからのウルトラマンクラブのことを含めた彼のラグビーに対する想いを、3回に分けてアップしていく。 |
第一回 〜ラグビーとの出会い、そしてウルトラマンクラブにめぐり会うまで〜
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「バスケットボールでも人にぶつかったりしてました。」 |
| 2002度 納会。 |
ありきたりだけど、ラグビーを始めたきっかけは?
宮崎「小学校、中学校とバスケットをしてて、中学2年の時のバスケの顧問の先生が、吉四六クラブにいた上田先生だったんですが、
試合に出ても、”試合開始直後に相手を吹っ飛ばして3分間退場”なんていうのがあって、それで「お前はラグビーしろ!」とか言われて・・・
で当時、首藤先生が大分東高にいらっしゃって、上田先生が話をしてくださって、じゃぁ大分東でラグビーやろうと。」
首藤先生が面倒を見るって言われて、行ったんですけど首藤先生は1年生の時しかいませんでした。舞鶴行っちゃいましたね、次の年(笑)。」
ラグビーには興味があったの?
宮崎「スクールウォ−ズ見てましたから、好きでしたね。」
再放送?スクールウォーズ2?
宮崎「いえ、2じゃなくて1の方。小学校ぐらいの時です。その時初めてラグビー見ました。で、スゲーって思って。」
当時は大分東って強かったの?
宮崎「大分で3位とか・・・先生も、舞鶴に勝つチームを目指していたし、結構強かったですよ。
でも舞鶴には50点差ぐらいで負けてましたけど。」
舞鶴のことはどう思ってた?
宮崎「国体なんかに選ばれて、混ざってラグビーやってても、”たいしたことねーな”って思ってました。でも、トライ取るじゃないですか、
で、彼らが盛んに言っていたことは、”オレら舞鶴だからな!”って。だから、やっぱ伝統のあるチームは言うことも違うなと。」
で、大学でもラグビーやるわけだけど・・・
宮崎「本当は関東のほうに行きたかったんですよ。最初は山梨学院受けてダメで、そのあと国際武道大も受けたんですけど残らなくて、
で、どうしようかな〜って思って、ラグビーの経歴とか書類送って、第一経済大に受かりました。(笑)」
大学でラグビーやってみてどうだった?
宮崎「いや、けっこういましたよ、すごい人。サニックスにいったプロップの人なんかめちゃめちゃ強かったし、鍛えられたと言うか・・・
”千本スクラム”とか言って、耳がつぶれるぐらい組まされましたね。
あと高校の時に、2年3年って、後藤征士先生だったんですよ。で、すごい基本練習というかボールを持たない練習とか
してたんですよね。んでグリッドとかも、”これがジャパンの練習だ”とか言って、面白くねーなってその時は
思ってたんですけど、大学行ったら、結構関西とかから都落ちしてきてるヤツらとかいて、そいつらってグリッドとか
当たり前のようにこなすんですけど、同期の雄城台の子なんかはびっくりしてました。
僕は普通にとけ込みましたけど。習っててよかったなと。」
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「大学卒業して帰ってきて、大分でラグビーしようと思ってなかったです」 |
| 2001年全国クラブ選手権にて。 |
社会人になって、ラグビーは続けるつもりでいたのかな?
宮崎「大分に帰ってきてラグビーはやるつもりは無かったんですけど、ハローワークである就職説明会みたいなのがあって、
そこに高校の先輩の藤沢さん(現URFC)がいたんですよ。で、大分に帰ってくるんなら、ウチにおいで〜みたいな。
練習見にくればいいやん?って誘われて・・・」
で、見に行ったわけだ。
宮崎「はい。仕事も始めて5月ぐらいに、同級生の岡野 司(現URFC)といろんなチームの練習見に行って・・・」
ん?いろんなチーム?
宮崎「大学の先輩の吉四六クラブの人からも電話掛かってきてて、帰ってくるなら吉四六クラブ入れって。・・・もう名前書いといて
いいかな?って言われたんですけど、”ダメです!”って言って、・・・まぁのんびりラグビーやろっかな〜なんて、司と考えてて、
ちょうど ZOOっていうクラブ(雄城台OB中心のチーム。現在は無い)に、ノブ(佐々木 信芳。現URFC)と、高校の時のマネージャー
がいて、誘われたんですよ。で試合見に言ったんですけど、なんかすごい試合してて(笑)。・・・そしてウルトラマンの練習を
見に行ったんですよ。また司と(笑)。舞鶴のグラウンドに。(当時、練習場所は舞鶴高グラウンドを借りていた)車で見に行って
車の中から、”どんな練習しよんのやろ〜”って見てました、こっそり。で水曜日がウルトラマンの練習で、木曜日が吉四六の練習だったんですよ。
吉四六の練習見たら、なんか6〜7人ぐらいでタッチやってて、”少ないな〜”と。ウルトラは10何人いたんですよ。最後に湯布院での
ウルトラの試合を見て、”なんか面白そうだな〜”と思って、ウルトラマンに入りました。」
次回は、彼が入った頃のウルトラマンクラブの様子から、全国大会出場を決めた2001年シーズン以降まで追う。
吉四六クラブを破り、九州大会、そして全国大会を経験した彼のラグビー観に、果たして変化はあったのか?
・・・お楽しみに。
〜第2回 URFC入部から、全国大会まで上り詰めた2001年シーズン〜へ を見る
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宮崎輝尚 (みやざき てるひさ) 生年月日 昭和49年6月21日生まれ 28歳 ラグビー歴 大分東高 → 第一経済大学 → ウルトラマンRFC ポジション フッカー 「最初はNo.8だったんですよ。で、プロップ、フッカー って感じですね。」 仕事 富田薬品 休みの日は? なんにもしないですね〜。買い物とかかな。 趣味 ダイエット?とプロフィールにはあるが、コーラ死ぬほど好き だよね。今は奥さんに止められてるみたいだね。(管理人談) |
| 今期最終戦の吉四六戦出番を終えて。 |